小林副住職の法話(その一)

小林澤應さん

今般のコロナウィルスの影響により休講中の定例法話会に代えまして、拙い法話をHPで掲載させて頂きます。
お読み頂きましたら幸いです。

「色即是空 その一」

 

我が師・故高田好胤薬師寺管主は、副住職の頃より管主に就任されるまでの十八年間、「未来の日本の国を背負って立つ中学・高校生の心を耕し、佛心と民族精神の種まきをすることは佛法者の使命であり、菩薩(ぼさつ)行(ぎょう)である」と、修学旅行生への法話を続けられました。薬師寺では、先師の志が代々受け継がれ、現在も若手の僧侶によって行われております。

薬師寺の僧侶は、寺を訪れる修学旅行生への法話の結びに「みなさん、合掌して下さい」と申します。すると、有り難いことに全校生徒が素直に手を合わせてくれるのです。

初めは、寺に『見学』に来た学生が、『参拝』の心に変わってくれるのです。私共が「心の種まき」をすることによって、信仰心を養ってもらえることは、僧侶にとっては無上の悦びであります。

今から十数年前、私が伽藍(がらん)の副主事として、その担当をしていた頃の出来事です。その日も、いつものように、秋晴れの伽藍で青空説法をしておりました。法話が終わり、生徒たちが去った後、地面を見ますと、配ったばかりの寺の由来書が、何枚かゴミとして捨てられていました。「せっかく心の種まきをさせてもらっているのに、由来書をその場に落として帰られるようでは、まだまだ私の修行は足らんな」そう自らを反省しながら、それを全部拾い、ふと顔を上げると、一人の学生がそこに残っているのに気が付きました。私と目が合った瞬間、なんと彼は私に五円玉を投げつけたのです。それが私の目の前に落ち、そして私に向かって合掌し、笑いながら頭を下げました。

「なんと失礼な子だ」内心、侮辱された思いが頭の中をよぎり、こう言いました。

「せっかくだけど、こういうのはお堂の中のお賽銭箱に納めて下さい。」

私は、その五円玉を拾って手渡すと、彼は「ああ、そうですか」といかにも不服そうに言って、走って行きました。

彼の不可解な行動の意味が分からずまま、そんな出来事さえも忘れかけていたある夜、私は風呂に浸かりながら、突然そのことを思い出し、やっと理解が出来たのでした。

彼は、佛様との一期一会の『ご縁』に感謝して、『五円』玉を供養してくれたことが分かったのです。その彼なりの功徳(くどく)を布施(ふせ)の心として受け止められず、「有り難う。あとでご本尊にお供えしておきます」と言えずに、不快感すら覚えてしまった自分の心の狭さを恥じ、反省をしました。

もし、彼がそのつもりでなくても、私がそう思えなければ宗教者として失格です。修学旅行生に心の種まきをしているつもりが、逆に教えを受け、自らこそが『円』に執(とら)われている未熟さを省みる出来事でした。

「日本の将来の経済と文化と国民性は、我々一人一人が『円』よりも『縁』を大切にすることによって、良くなると思います。」これは、ご生前にお慕い申し上げておりました、中小企業経営コンサルタント・故林田禮次郎氏からのご教示の言葉です。私は、林田氏の説かれた「『円』の世界において、『縁』を大切にする」ということは、般若心経の「色即是空(しきそくぜくう)」の教えに繋(つな)がるのではないかと思います。

私は佛教学者ではありませんので、専門的な解釈は抜きにして、「色(しき)」とは目に見える物や形の世界、「空(くう)」とは目に見えない心の世界のこと、と受け止めております。色の世界において空の心を求め、実践してゆくという永遠なるテーマに向かって日々精進して参りたい、と願う私共佛道修行者にとって、林田氏の言葉の深さと重みを感じざるにはいられません。

合 掌