小林副住職の法話(そのニ)

小林澤應さん

今般のコロナウィルスの影響により休講中の定例法話会に代えまして、拙い法話をHPで掲載させて頂きます。
お読み頂きましたら幸いです。

「色即是空 そのニ」

 平成十年の真冬、私は入門して以来十三年目にして、四度加行(しどけぎょう)
という特別な修行を受けさせて頂きました。これは当山では六十三日間の日程で
行い、真言密教(しんごんみっきょう)の作法を学び、不動明王の護摩法(ごま
ほう)を修得するためのもので、その修行の内容を四段階に分けて行うので、
「四度加行」と呼ばれています。
 
行者(ぎょうじゃ)の日課は、午前二時半の起床から始まり、全裸で頭から水を
かぶり、身と心を清め、手と口を漱(すす)ぎ、三時に入堂します。午前三時・
九時からと、午後六時からと一日三回、それぞれ約二時間半~三時間ずつの行法
(ぎょうぼう)のほかに、午後一時からの諸堂参拝があります。食事はもちろん
精進潔斎(しょうじんけっさい)で二食(にじき)、つまり正午からは五穀(ご
こく)(米・麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)の五種の穀物、それらで作られた
お菓子なども含む)を口にすることは出来ません。俗世間との縁を一切断ち、寒
く、辛く、ひもじく、厳しく、寂しく、苦しい毎日を過ごし、自己を見つめ、磨
き、高める行なのです。
 
しかし、実際は自己を高めるどころか、孤独感に陥り、自己の弱さを実感するば
かりの毎日でした。
人間というものは、精神状態が極限に陥りますと、出家の身でも両親のことを思
い出すものです。私は東京で生まれ千葉で育ちました。寺から見える若草山の彼
方(かなた)東が私の故郷なのです。その方角に向かって「南無観自在菩薩、南
無観自在菩薩」と涙をこらえながら念じておりますと、私の中でその観音様のお
顔が、なぜか両親の顔に重なって思えてならないのです。十三年間の寺での生活
を振り返り、こんな思いは初めてでした。
「もう娑婆(しゃば)に還(かえ)ろうか」「袈裟(けさ)を脱ぎ、数珠(じゅ
ず)を捨て、脱走して実家に帰ったろうか」何遍そう思ったことか分かりません。
それでも真っ暗闇のお堂の中で蝋燭(ろうそく)一本の明かりを燈(とも)しな
がら、孤独に耐え、行法を続けなければならないのです。
 
そんなとき、予告もなく千葉の両親が、新幹線に乗って、私の修行の見舞いに来て
くれたのです。特別に面会が許され、行者部屋で久し振りに会うことが出来ました
。
 
そのとき、母親が私に「お土産(みやげ)」と言いました。母親の温かそうな柔ら
かそうな掌(てのひら)には、絆創膏(ばんそうこう)が乗っておりました。それ
を見た私は、感動の涙が止まりませんでした。行者は素足と決まっており、白足袋
(しろたび)をはくことは許されません。真冬の寒さの厳しさと手足の皸(あかぎ
れ)に悩まされていた私は、それが欲しくて欲しくてたまらなかったのです。たと
え私が奈良の寺で修行に籠(こも)っていても、親には目に見えないものが観え、
耳に聞こえない声が聴こえるのです。そのまさしく「観自在」なる親の慈悲の心に
、私は救われたのでした。絆創膏を見て泣くという経験は生まれて初めてであり、
私の人生においても貴重な思い出のひとつであります。
 
私は出家して佛道修行の身でも、生み育てて頂いた親の恩を、決して一生忘れては
ならないと感じました。なるほど、「恩」という字は、命が生かされているおかげ
さま(因縁いんねん)に深く感謝する心だから、「因」と「心」が重なって成り立
っていることが、しみじみと理解できたのでした。
 
私が絆創膏を見て「なんだ、ただの絆創膏か」と思ったら絆創膏は即ち「色」であ
り、同じ物を見て「これが親の恩であり、慈悲の心なんだ、生かされているんだ、
おかげさまで有り難いんだ、勿体ないんだ」と思ったら同じ絆創膏でも、即ち「空
」になると思うのです。ひとつの物を見て、「色」なのか「空」なのか、それは私
の受け止め方次第なのです。その受け止め方の訓練こそが、私の佛道修行であると
思っております。
 
さて、我が師・故高田好胤管主は、約五百年前に焼失した薬師寺の白鳳伽藍(はく
ほうがらん)を、般若心経のお写経勧進(かんじん)によって復興することを発願
(ほつがん)し、全国を行脚(あんぎゃ)されました。先師は、物や形の世界(色
)と心の世界(心)との調和が「色即是空(しきすなわちこれくう)」と説き、お
堂の復興は心の復興と呼び掛け、昭和・平成の日本人の信仰心の高まりと功徳の振
り向けを頂き、その心(空)を、形・文化(色)として後世に伝えてゆくことを願
い、生涯勧進行脚に努められたのでした。
 
私は、先師の弟子として、色の世界において空の心をどう受け止め、どう頂戴し、
どう日々の生活において実践し、どう伝えてゆくべきなのか、佛道修行者である私
の、命のある限りの課題として、愚鈍ながらも精進して参りたいと願っております
。 

合 掌